
白石城は白石市の中心部にある益岡公園にあった平山城で、中世期末期頃、地元の土豪白石氏の居城でしたが、慶長7年(1602)以降は仙台城の支城として伊達家の重臣片倉氏が代々居城し、元和元年(1615)の一国一城令後も例外的に「城」としての存続が認められました。
明治維新時には、白石城で奥羽越列藩同盟が結ばれるなど歴史が大きく転換する時にたびたび登場し、重要な役割を果たしてきましたが、明治2年には白石藩知事となった南部家(岩手県盛岡市)が城主となり、その後按察府という明治政府の広域行政府が置かれた。
片倉家は、開拓費用に充てるため白石城の売却を申請し、城は陸軍省、大蔵省へと管轄が移り、ついに大蔵省より明治7年に民間に払い下げ処分となり以後随時解体されました。
白石市民の長年の夢でありました白石城の復元は、市民の間から復元の浄財が寄せられるなど復元に対する運動が起こり、平成7年に三階櫓(天守閣)と大手門を、市民と行政が一体となり復元を成し遂げることができました。
「白石市のシンボル」として市民の誇りとなっている白石城と関連施設などについてご紹介いたします。