白石城三階櫓(天守閣)は、平成7年(1995)3月に復元されました。明治7年(1874)に取り壊されて以来120年ぶりの再建です。
歴史を永代に伝えるため文化財の保護を重視し、発掘調査を行い、城郭として機能した文政6年再建後の最晩年の構造による三階櫓(天守閣)を史実に忠実に復元しました。日本古来の建築様式に基づき、数百年の歳月に耐え得る、全国的にも数少ない木造復元は、学術的にも高い評価を得ています。
三階櫓(天守閣)は3階で、1階は東西9間×南北6間、3階は東西5間×南北3間の広さがあり、高さは石垣天端から16.7m、戦後の木造復元天守閣では高さ、広さとも日本最大級を誇ります。城郭建築では日本初めてのことでした。
三階櫓(天守閣)の構造
三階櫓(天守閣)は普段、城主が住まいとしていたものではなく、武器等の保管場所になっていました。
1階内の外壁廻りは武者走りで、戦闘状態になったとき、武具を付け武器を持った武士達が走り回るため板張りになっています。 1階の北側と西側に石落しがあり、石類も保管されていたと考えられます。
3階は物見櫓の役割をかね、高欄が4周に廻り、火頭形の出入り口がついています。室内は畳30畳くらいあり、敵の情勢を見ながら軍議を開くことも可能であったと言われています。高欄からは白石城下が一望でき、蔵王連峰をはじめ自然の豊かな四季の景色を堪能できます。
三階櫓(天守閣)は昔ながらの工法を用い、補強金具は使われていません。
木材は柱が吉野檜、化粧材は青森ヒバ、山陰地方の松丸太、赤杉とすべて国産材で造られています。耐用年数はおよそ250年を想定しています。
壁は、当地方の土壁と同じ造りで土塗りを何度も繰り返し、漆喰で仕上げています。壁の厚さは21~24cmあり、日本古来の耐火構造です。
白石城の石垣
三階櫓(天守閣)と土壁の始まる部分からの石垣を見ると石の積み方に違いがあります。
天守台に当たる部分は、自然石をほとんど加工せずに積み上げていく工法が用いられています。この工法は野面積みといい、戦国時代の石垣はほとんどこの工法です。
外壁の始まる所から大手門にかけては、石の前面を加工し石と石の間に間詰め石を入れる打ち込みハギ技法です。
外壁には、石落としの他に矢を射るための四角の穴、鉄砲を撃つための丸い穴が空いています。