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歴史・沿革

安政3年(1856)白石城下絵図より

天正19年(1591)豊臣秀吉は、伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、会津若松城とともに蒲生氏郷に与えた。蒲生氏家臣蒲生源左衙門郷成は、白石城を築城し城主となった。慶長3年(1598)上杉領となるや上杉氏家臣甘糟備後守清長は白石城の再構築を行い居城した。

慶長5年(1600)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となり、伊達氏家臣片倉小十郎によって大改修がなされ、以後明治維新まで260余年間片倉氏の居城となった。

白石城は標高76メートルの最頂部には本丸・二ノ丸・中ノ丸・西曲輪、中段には沼ノ丸・南ノ丸・巽曲輪・帯曲輪・厩曲輪を置き丘の上に館堀川を巡らし、南は空堀で斤陵を切断、館堀川を隔てた平地には三ノ丸・外曲輪を配置した平山城である。本丸は高さ9メートル余の石垣の上に土塁を囲み三階櫓・巽櫓・坤櫓・大手門・裏三階門を備え、御成御殿・表・奥の諸建物があった。二ノ丸以下はすべて土塁で囲み、木柵をまわした崖を利用する等中世と近世城郭を併用した縄張であった。

元和の一国一城令以後も仙台藩は仙台城と白石城の二城が許され、明治維新には奥羽越列藩同盟がこの城で結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城された。その後按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の変転期には一役を担う重要な城であった。

白石城主「片倉氏」

初代片倉小十郎景綱は、伊達輝宗(政宗の父)に見出され、梵天丸(後の政宗)の傅役となり、終生政宗につかえました。
小田原参陣の時、時期の遅れを説いて秀吉との対決も辞さずとした成実と和平を説いて参陣を主張した景綱の話は有名です。

片倉家の事績を今に伝える「片倉代々記」には、片倉家三代功績として、次のような記述があります。

日、片倉之家救伊違御家之大難既三回也、租父備中景網ニハ秀吉公小田鷹御障之時 貞山公小田坂へ御登無之節奉忠諌是一也、父童長ハ大坂御障之時致忠戦救御家之難是二也、吾子此度之忠義是三也、同席共美談

解説

伊達家重臣富塚内蔵充が景長に次のように語ったといわれています。
片倉家はこれまで伊達家の大難を3回救った。
一は、祖父景綱が秀吉の小田原征伐の時、政宗に忠諌して小田原参向を行わせたこと。
二は、父重長が大坂の陣において比類なき武勇を致し、伊達勢の手柄は日本一と徳川家康をはじめ天下に認めさせたこと。
三は、景長が寛文事件(伊達騒動)という伊達家の大難を救ったことである、と。
この富塚の話を聞いた同席の者は、いずれも美談なりと誉めたたえたといわれています。

白石城略年表

年代 城主・城代名 主な出来事
中世末期   地元の土豪白石氏の居城となる
天正18年 1590   豊臣秀吉の全国統一
天正19年 1591 蒲生源左衛門郷成 小田原征伐後に豊臣秀吉が伊達政宗から所領を取り上げ、蒲生氏郷に与える。蒲生郷成が城代となり、城としての形態を整える
慶長3年 1598 甘糟備後守景継 上杉領となり甘糟景継が城代となる
慶長5年 1600 石川大和守昭光 政宗が関ヶ原の戦いを契機に旧領を回復して伊達領となり石川昭光が城主となる
慶長7年 1602 片倉小十郎景綱 仙台城の支城として片倉小十郎景綱が城主となり、以後代々片倉家の居城となる
慶長8年 1603 重長、白石城へ移り城下町の整備を始める
慶長10年 1605 景綱、白石へ入る
元和元年 1615 重長 幕府の一国一城令が出されたが例外的に城の存続を認められる
万治2年 1659 景長  
延宝6年 1673 強震により石垣崩れる
天和元年 1681 村長  
貞亨元年 1684 白石城修補
元禄4年 1691 村休  
元禄10年 1697 土留め石垣崩れる
元禄15年 1702 白石城修補
享保16年 1731 村定  
享保17年 1732 時鐘を造る
享保18年 1733 白石城修理工事
寛保3年 1743 村廉 勘定所焼け、諸記録消失する
明和5年 1768 村典  
文化元年 1804 時鐘を時太鼓に改める
文化14年 1817 影貞  
文政元年 1818 宗景  
文政2年 1819 火災により大櫓など本丸のほとんどを焼失する
文政6年 1823 大櫓を再建する
万治元年 1864 邦憲  
慶応2年 1866 太鼓堂白石城東門そばに移る
慶応4年 1868 奥羽越三十一藩による会盟成る
明治元年 1868 白石城を明け渡す
明治2年 1869   白石城を南部氏に引き渡す
明治7年 1874   白石城解体
明治33年 1900   城跡が益岡公園となる
大正4年 1915   白石町が本丸跡に初代片倉小十郎の頌徳碑を建てる
平成2年 1990   10月15日、発掘調査開始
平成4年 1992   9月、工事開始
平成7年 1995   3月、三階櫓(天守閣)、大手一ノ門・大手二ノ門の復元完了

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所在地

白石城・歴史探訪ミュージアム
〒989-0251
宮城県白石市益岡町1-16(益岡公園内)
武家屋敷
〒989-0252
宮城県白石市西益岡町6-52
Tel:0224-24-3030
Fax:0224-24-3033
Mail: shiroishijo@shiro-f.jp
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